【阪神】湯浅の原動力


湯浅 京己(ゆあさ あつき、1999年7月17日 - )は、三重県尾鷲市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 尾鷲市立尾鷲小学校4年時から「尾鷲野球少年団」で野球を始め、尾鷲市立尾鷲中学校時代は「伊勢志摩ボーイズ」でプレー、主に内野手を務めた。
26キロバイト (3,090 語) - 2022年8月9日 (火) 06:56



シーズンが深まるにつれて阪神・湯浅の安定感が増してきた。0―0の8回、西勇からバトンを受けて2番手で登場。今季50試合の節目を、3人で打ち取った。
 簡単な相手ではなかった。1番から始まった強力な巨人打線の坂本、ポランコ、丸に自分のスイングをさせなかった。わずか8球。テンポの良い投球が景気付けになったか、直後の攻撃で打線が2点をもぎ取り、一時はリードを奪った。
 23歳の若さで50試合に到達したのは、球団では02年金沢健人以来20年ぶりだ。独立リーグから入団し、度重なる腰痛に苦しみ、プロ3年目の昨季初めて1軍で投げた。その年は3試合の登板。残した足跡は小さいものだったが、1年後、劇的に飛躍した。上から投げ下ろす角度のある150キロ台の直球とフォークを軸に“8回の男”に定着。50試合は、今季のセでDeNAエスコバーと伊勢のみがクリアしている数字だ。
 1人の力でたどり着いた数字ではない。岩崎、岩貞らが引っ張るブルペンの温かいムードに背中を押されている。1軍に昇格した選手がいれば、練習前に救援陣とコーチが円になって拍手で歓迎。その円陣では時に“一発芸”のようなノリで盛り上がる時もある。
 延長戦は岩崎、浜地、岩貞の粘りで守り抜いた。レベルが高い仲間がいるからこそ、成長できる。19試合まで伸びた連続無失点も、刺激と優しさが好バランスで保たれた環境があるからだ。




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(出典:スポニチアネックス)

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